三月十四日


いつもと変わらない十番隊執務室で
いつもと違ったのは

いつもと同じように仕事をこなしている
冬獅郎に疑問符を投げかける
乱菊の質問から始まる



「なんで隊長がここに居るんですか?」


「……仕事してんだ。当たり前だろ」



いつもおかしな質問をする乱菊に
冬獅郎は驚く様子も無く
もくもくと仕事を続ける



「隊長、今日あたしちゃんと隊長に
お休みをあげましたよね?」



「……お前が仕切ってるみたいな言い方をするな。
今日仕上げておきたい仕事が有るから、やってるだけだ」



ここで眉を顰めたのは珍しく
乱菊の方だった



「……いいんですか?今日、の傍に居てあげないで」


ここでようやく冬獅郎の眉間に
一つ皺が浮かぶ

何故ここでの名前が、出て来るのだろう
そう聞きたげな表情を乱菊に向ける



「ちょっと何ですか、その顔?……まさか隊長
今日が何の日か知らない訳じゃ無いでしょうね?!」


冬獅郎は乱菊から顔を背け
再び書類に筆を走らせる


「あいつの誕生日ならもう祝ってやった」


「何言ってるんですか……
今日は、ほわいとでぇーですよ?」


「はっ、……んなガキみてえな事
俺が興味有るわけ無いだろ」



冬獅郎の反応に、乱菊は
すっかり呆れた顔に変わる


(……と言い隊長と言い、本気で知らないのね、全く……)



「まぁが隊長に、頑張って愛を告げて
何もお返しが貰えなくても……」



冬獅郎の繭がぴくりと上がった

それを見計らったかの様に、乱菊は
書類を机の上で整えながら
冬獅郎に向って、満面の笑みを向ける



も子供じゃ無いんだからそんな事では
これっぽっちも、悲しんだりしませんよねぇ?」



同時に書類をばんっと閉じて
冬獅郎は血相を変え、勢い良く立ち上がる

乱菊と目を合わさぬ様に
すばやく横を通り過ぎ
背を向けたまま扉の前で止まると

乱菊に向って一言



「急用を思い出した!今日は帰るが
決して、ほわいとでぇーとかの為じゃねえから
誤解すんなよ松本!!」


まるで子供の様な事を言う
上司の小さな背中を
乱菊は、母親のように笑って見守っていた



「はいはい、お疲れ様でした〜」


冬獅郎の姿が見えなくなると
乱菊は窓の外の空に目を向ける

全くどちらも世話が焼ける、そう思いながらも

春を間近に控えた日差しは温かく


心と共に、居心地は良く感じられる
十番隊執務室の時間だった












、居るか?!」


「はい。あら冬獅郎さん、お帰りなさい!」



つい今し方、出掛けたばかりの
主の帰宅を知らせる声に

は少し驚いた顔をしたが
冬獅郎の姿を見付けると
すぐ嬉しそうに、とば口へと出迎えた



「……出掛ける、お前もだ。着流しを出してくれ」


「はい」


帰宅を喜ぶのも早々に、先を急ぐ
冬獅郎から羽織を受け取って

は慌てて、冬獅郎の着流しを用意する


一体何が、どうしたと言うのだろうか?


例え休日であろうと、睡眠時の浴衣を除いて
冬獅郎が死装束以外を纏う事は

とても珍しい


が僅かに混乱している間にも
冬獅郎は、すっかり着付けを済まして
草履を履き終えている



「よし、行くぞ

「は、はいっ」



慌てて戸締りをして、
冬獅郎の後を追いかけた


長い石段の下で冬獅郎は
の姿を確認して、ゆっくりと歩き出す



瀞霊廷を長く歩きながら
いつだって冬獅郎に、尋ねる事は出来た筈だ


一体どこへ行くのかと



聞けなかったんじゃ無い




聞く必要が無かった



冬獅郎の物言わぬ背中が
にとっては、いつもより大きく見えて
たとえ数歩後を歩いていても

同じ道を共に進める事が


は、ただとても嬉しかったからだ





どの位歩いただろう


瀞霊廷の外れ間で来ると冬獅郎は
ようやく立ち止まり、の方へ振り返る


、ここからは俺の傍を離れるな。
お前が歩いて通った事の無い道だろうからな」


「はい、あっ……」



自分が歩いて通った事の無い道?


あえて『歩いて』と付けた
冬獅郎の言葉に、頭を傾げる間も無く


は手首を冬獅郎に掴まれ

引き寄せられた勢いで
姿勢を崩し、危うく転びそうになる所だった




「……行くぞ」


少し驚いたの視線の先で
冬獅郎は目を逸らす
その顔は僅かに赤く見えた

少々乱暴だが、精一杯気恥ずかしさを隠した



冬獅郎なりの手の繋ぎ方



「はいっ!」


強く掴まれた右腕に
幸せを感受してはまた
やわらかに微笑んで、歩き出す


その少し先で、冬獅郎が向う
境界線が見えて来た


それは瀞霊廷と流魂街を
区切る、目には見えない
大きな壁が遮っている瀞霊門と

そこを護る巨大な体の門番だ



「冬獅郎さん、流魂街へ?」


「心配すんな俺が居る」



は正面からの通行許可が
降りないのではと、不安を見せたが
冬獅郎の言葉はの心を

緩やかに溶かして行く

そんなを確認して、冬獅郎は
の手を引いたまま
門の正面を切って進む


一瞬、その体格差に冬
獅郎を見落としかけた門番に

冬獅郎はあえて自分から声を掛けた



「よぉ、じ丹坊。ちゃんと仕事してるか?」


軽く冬獅郎の五、六倍は有ろう巨身が
声の主を探して地を覗きこむ


両者の厳しい表情は
互いの視線が合ったと同時に

よく知る友との再会を、懐かしむものに変わる



「こりゃ珍しい!日番谷隊長じゃねぇか、里帰りか」


「まぁそんな所だ、通らせてもらうぜ」


「あの、わたくしは……」



身元を保証する物が無い、今の自分が
許可証も無く瀞霊門を通る事は
法に触れる恐れが有る

先ほどが覚えた不安は、再びの心を曇らせた


どうやら冬獅郎とこの門番は
親しい仲の様だ

それを知れば、なおさら自分の事で
冬獅郎に迷惑は掛けたくは無い


戸惑うを冬獅郎の影に見付け
じ丹坊は、そんなの意に反し



声高らかに驚き笑った




「この自慢の嫁御だぁか!」

「あぁ、だ。よく覚えてろよ、じ丹坊?
尸魂界一いい女だってな!行くぞ、




思いも寄らぬ二人の会話に
顔が真っ赤になったのは、の方だった

冬獅郎はそんなの顔を見ずに
ただ真っ直ぐ前を向き、軽く手を上げ
門番に別れを告げて

冬獅郎は流魂街へと足を踏み出した



「あ、あの冬獅郎さん?!
門番さんすみません、失礼します」


「気を付けてなぁ!」



再び冬獅郎に腕を引かれ
は慌てて門番に、ぺこりと礼をして進む



白道門を抜け、少し歩くと
西流魂街の町並みが見えて来る

潤林安の手前、冬獅郎は不意に立ち止まり
先に有る小高い丘を見上げて
へと呟いた



「この先お前がどこに行っても
俺の嫁だと言えば……
道の方から開いてくれる位、名の知れた
強い男になってやるよ」



二人の間を横切る風は
瀞霊廷に吹く風よりもずっと

荒々しく、土の臭いがした



しかしそれは、頑強で
容易に隘路に屈しない強さを持ち
二人の背中を押す様で、は心地良かった




あなたは今のままで……

傍に居てくれるだけで十分――



そう言葉を返すよりも
先に有る道を、あなたが開いてくれるなら



私はあなたが迷わぬ様に

導く光となって


共に歩く道を照らして行こう



「誰より幸せだと、いつも笑っていますね」



あなたが他の誰よりも
私に幸せをくれる人なのだと

道を開く人達にも伝わる様に




先に丘を上がる冬獅郎を見上げて
眩しい空に手をかざしながら
そうしてはまた

幸せそうに微笑んだ




先に丘の天辺に登った
冬獅郎に手を引かれ、並んだ

丘から見える景色に僅かに驚いた



「冬獅郎さん、ここ……」



は、冬獅郎へ振り向いて
正面に立った


以前、一度だけここへ降り立った事が有る


違ったのは二人を照らすのが
太陽ではなく月であった事



「ああ、瀞霊廷の世間知らずな姫君が
将来有望な俺を、引き抜きにやって来た場所だ」



目の前に居るよりむこう側

冬獅郎は、瀞霊廷と流魂街を区切る
見えない瀞霊壁へ見送り

遠く幼き日の夜手放した天女を
目の前に確かめて


儚げに微笑んだ




「……全く、どこで待ってるかも
言わねぇままさっさと帰っちまうから
幻を見たのかと思う所だったぜ」



から目線を外すように
丘の芝生に腰を下ろし

眼下に広がる景色へと顔を向ける




「夜はあっちの川辺で朝を待って
昼間はこの丘で……の事を考えてた」



遠くを見詰める冬獅郎の隣へ
は何も言わず
ただ静かに並んで座る



空を掴む様に、掌を高く
空に突き出して

冬獅郎はそっと太陽を遮った




「とても遠くに感じた」



は、心の中に小さな痛みを覚え
冬獅郎の掌を、自分の両手で包み込んだ

自分はここに居ると
どうか伝えようとするが

上手く言えず、言葉に詰まってしまう


そんなに冬獅郎は
素気無さを装って声を掛けた



、膝」



当たり前の様に、の膝へ
頭を乗せて芝の上へ寝転がる

繋いだ手はそのままに

冬獅郎は再び空を仰ぐ



「けれどこうしてると、空が……
すぐ近くに感じる事が出来る」



ただそこに立って正面に見る空は
壁のように遥か遠くに感じて
手の届かない物の様で


道は、まるで見えて来なかった



けれどこうして地に転がり
空を仰ぎぐるりと辺りを見渡せばば

芝を這い、肌に触れる風や
空気でさえも


空がすぐ傍に有る様に感じられ


自分が前に進む想いさえ有れば





すぐそこに、必ず手は届く





そう思えたのだと冬獅郎は
に話す



「お前が飛んでった空は
どこだって……繋がってるってな」



視線は空へ向けられたままだが
冬獅郎がに絡めた指先は
強く力が入っている



あの日の幼い少年の想いは

沢山の不安を殺して
自分を求めて踏み出した道かを


はこの地に再び触れて
改めて強く知った



「もう、どこへも行きませんから……」



握り返す掌から
のありったけの想いが
冬獅郎へ伝わって行く


辿り着いたのだと、穏やかに
心が満たされる

にすっかり心癒されて
冬獅郎は当初の目的を
忘れかけていた事に気付き、刹那はっとして

すこし眠そうに着流しの袂を探った




「これを……にやる」



光を反射してきらきらと光り、揺れる
飾りがついたつりひもを

へ、ぶっきらぼうに差し出した




「これは……天河石とかんらん石」




冬獅郎がに渡した物は

鍵を束ねるのに使っていたつりひもに
細かい銀細工と、南京玉の様な
天然石が輪を作っている


太陽を浴びた芝の上に置けば
紛れてしまいそうに
透き通った碧色の石もまた



冬獅郎の温もりを、の掌に伝えた




「んな物に縋ってたなんてな……
情けねぇと思うなら思えばいい」



そう言って冬獅郎は、少し儚げに
へ笑ってみせる








情け無いなんて


少しも思えなかった




心迷う時、救いの道を記す希望の石

そして、光を導く太陽の石




碧色に輝く二つの石は、どちらも
澄んだ冬獅郎の瞳の色に似て
は吸い込まれるように

穏やかにそれを見詰めた




「なぜわたくしに?」


「……俺にはもう、必要ねえからな」




精神を強く持つ事も
確かな愛情も
俺の心を支えるものはもう


目の前にある



導かれた光の辿り着く先は
手を伸ばせば触れられる




今度はの心を、俺と共に護ってくれ




願いを込めて石を指先で軽く弾き
冬獅郎はゆっくりと瞳を閉じて
の膝へ、その身と精神の休息を預ける


から伝わる優しい温もりと
やわらかな日差しを運ぶ風を


静かに頬に受けながら




「冬獅郎さん、ありがとう」




囁く様にそっと心を伝えて
穏やかに過ぎていく時間を二人

ゆっくりと重ねた









やがて日が地の境目に隠れる頃
同じように、ほんの少しだけ離れて

瀞霊廷の道を歩き、帰路を辿る



そしてまた冬獅郎は立ち止まり
を振り返る



「いかがなさいましたか?」


、お前今日が何の日か知ってたか?」



冬獅郎の質問に、思った通り
きょとんとして首を傾げ、足を止める


そんなに、嬉しさに似た
安心感の様な物を感じて
また前を向いて歩き出す


「と、冬獅郎さん?教えて下さい、何の日なのですか?」


慌てて追いかけるを背に
笑顔を見られ無い様、先を進む


「お前がそんなで良かった」


「ま、待って下さい。どういう意味ですの?!」


は意味が解らず半ば、べそを
掻きかけながら追いかける

そんなの前で冬獅郎は
急に立ち止まって

に、ぐんと顔を近づけ呟いた



「ずっと、そのままのでいろって事だ」



驚いたのと恥ずかしさで
固まってしまったを放って

冬獅郎はまた、先に家路を目指し歩き出す
心満たされるのは二人、共にと……




そんな冬獅郎流の





三月十四日の過ごし方











ホワイトデー過ぎてるし……
そんな突込みが沢山聞こえてきそうです。

天河石とかんらん石は
ペリドットとアマゾナイトの天然石です。
某ショップに、日番谷verホワイトデーセット
なる物が売られてました。
今回はその中身、天然石の携帯ストラップ
のエピソードなのでした。


2006.03.28
十番隊隊主室 一片

ちなみに…宝石の効能(?)は
アマゾナイト「夢の実現、精神的に強くなる等」
ペリドット「光の導き、夫婦円満、浮気防止(笑)」
だそうです。参考まで…







冬獅郎流〜三月十四日の過ごし方〜